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![]() ブランディング・イン・チャイナの原稿で保留にしておいた箇所、写真の選択、他の著者の原稿に目を通しての全体の調整、それに、大学院生の博士論文に目を通す、それに、場と秩序の論文のために必要なインタビューの計画を立ててお正月明けには依頼をする必要がある。また、休みあけには、今年日本に帰ってからの大学院の授業計画を提出しないといけない・・・・・。こういうことは仕事をしていれば当たり前なのだが、流れていきにくい仕事=モノを書く仕事が重なると、とにかく一つ一つ仕上げて前に少しずつ進んでいかなければならなくなる。年末で、家族がベターっと家にいると、それだけで、精神と身体の自由度が半分以下に減ってしまう。食事の用意を毎日毎日3度3度し、家族の時間の調整、かたっぱしから汚れるのを片付ける・・・・。それと、ご招待いくつか。子供の夏休みや、夫の退職後の家にべったりの生活が主婦の頭痛の種だというけれど、ましてや主婦が働いているときそれをどうやって乗り切ったらいいのだろう。 何とかなるさ、と鷹揚に構えているはずが、どうしても、もう前に進めない、という気分になることがある。それが今日だった。お昼ごはんを作ろうと、朝のお茶碗を洗っているときに、急にどうしようも気持ちが抑えられなくなった。夫に対してというのでも娘にというのでもなく、どうしようもない岩石のような感情が押し寄せてきた。自分がかなり無理をして生きていることを痛感した。私ぐらいの年で、脳溢血などの病気で倒れたり、亡くなったりする方がいる。話を聞くと、仕事の山に、親の介護などの人生の山が重なった時らしい。今日はその瞬間を実感してしまった。 あれもこれもやらなくちゃ、というのは、もう無理になってきているのかもしれない。どれをやるか決めるのではなくて、どれをやらないを決めなければならない、という人生のタイミングに差し掛かっているような気がする。 ▲
by tigress-yuko
| 2005-12-31 05:30
![]() 書き出しと前半部は、有名な自然法に基づく、基本的人権が宣言されている箇所である。 When in the Course of human events it becomes necessary for one people to dissolve the political bands which have connected them with another and to assume among the powers of the earth, the separate and equal station to which the Laws of Nature and of Nature's God entitle them, a decent respect to the opinions of mankind requires that they should declare the causes which impel them to the separation. We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness. 自然法思想は18世紀当時の流行であるが、こうして、独立宣言の中でお目にかかるとなぜ流行したのかがよくわかる。宗教からも、規制の権威からも独立した次元の正義を持ち出さなければ正しさを相対づけることができなかったからだ。 ガイドが教えてくれたのは、その後に続く、英国王がいかに酷い独裁政治をしてきたかを箇条書き的に記述した部分の生々しさで、この箇所まで読み進むと、書き出しの崇高さはかすんでしまう。道理で全文が紹介されないわけである。 陳述箇所で、もっとも興味を引かれたのは、イギリスが、アメリカの人口を増やさないために、移民の数を厳しくコントロールしていたくだりだった。広い国をテイクオフさせるための労働力不足が当時のアメリカの大きな問題だったからだ。イギリスにしてみれば、人の流れをコントロールすることは、統治の根幹だった訳だろう。To govern is to populate という言葉があったはずだ。Populateはもともと、人をある場所に居住させる、殖民させるという意味なのだ。 ジェファーソンによる草稿に対して、皆で手を入れていった原稿が残っている。初めのところにでてくる我々(アメリカの)人民はというところが、初稿はa people としていたのが、one people に直してあったり、majestyと呼ばれていたイギリス国王が、単にking of Great Britainと直してあったりして面白い。見ると若いジェファーソンは穏健というか無難な表現をしているところ、老人のフランクリンが、トンガった表現に変えている。こういう推敲をみると、冠詞一つ一つで、意味が変わるわけだから、手間隙をかけて文章を練り直すのは、重要なことだと、今さらながらに考える。当時はタイプライターもまだないわけだから、全て羽ペンによる手書きである。Independence Hallもとても規模の小さい、質素な建物である。大きな意思決定が、小さな人間のスケールで下されていた時代を少しうらやましく思った。 ▲
by tigress-yuko
| 2005-12-30 23:54
| Education
![]() Betsy Rossの家、Postal Museum, Liberty Bell, Independence Hall, Atwater Kent Museumを回った。 Betsy Rossは、アメリカの国旗をデザインした女性。一年前、こちらに来たばかりのとき、娘のBook Reportのテーマだった。英語もできないわ、アメリカの歴史も知らないわで、作文を仕上げるのに相当苦労した。最後には、各自の担当した伝記の人物のCostume playをするということで、コロニアル時代のデザインの洋服を探しまわったことを思い出す。Betsy Rossはクエーカー教徒だったのだが、実際街を歩いてみると、クエーカー教徒の集会所が傍にあることがわかる。小さなコミュニティがいくつもできて、そこにかたまって住んでいたのだろうなと思う。夫は、国旗賞賛の愛国主義の鼓舞という意図がありありで、辟易したらしい。 私も、国旗のデザインに関して、ジェネラル・ワシントンに物申した女性ということで、フェミニズムへのポリティカル・コレクトな配慮をみせているところが見え透いている気がして、素直に関心できる伝記ではなかったのだけれど、13個の星がついている国旗は確かにアメリカの歴史を説明するのには非常にわかりやすいシンボルではある。それに、Betsy Rossの家での説明では、Betsy Rossが国旗の製作から得た報酬や、独立戦争中に、主とした顧客だったイギリスの上流階級からの発注がなくなったので、銃の弾丸やカートリッジの生産を行うようになったなど、愛国主義からではなく、淡々と経済活動を行っていた姿が語られていて、庶民と政治との距離を感じる語りぶりであった。星の形も、初めの案は六角形だったのだが、それが五角形になったのは、Betsyが、簡単に形を取りやすいという合理的な理由で、進言したのだそうだ。 同じ伝記を読み、家を訪れて、夫婦でもそのくらい受け取り方は、違うのだから、歴史の解釈というのは本当に多様性があってしかるべきだろうと思う。それだからこそ、歴史の解釈の少なくとも一つのプロトタイプというのは、家庭での会話から学ぶべきではないかと思う。学校でいかに歴史が語られるかは、制度的な力を持っているから、もちろん重要な問題であるが、家庭でいかに歴史を語るのかはそれ以上に大切だと思う。歴史教育というのは一つの参照点を与えて、それから自分の史観の距離を作るための事実を判断する力、解釈する力を養う一連のプロセスだと思う。 アメリカの歴史の明確さ、と比べると日本の歴史、特に、近代史は、わかりにくいし、教えにくい。戦争や革命といったくっきりとした流血事件があったわけではないし、独立宣言のように、エポックメイキングな声明が公開されたわけではないし、歴史的場面がモニュメントとして保存公開されているわけでもない。そもそも市民革命という考え方概念自身が西欧的な歴史の中で出てきたものだから仕方がない。一つの典型的な方法は、西洋の歴史から日本を逆照射するやりかただろう。 娘が革命史を学びはじめた時、2つのことを一緒に勉強してみようと思った。一つは、独立戦争それ自身について、第二はそれがどのように小学校で教えられるかについてである。Philadelphia訪問も、娘にかこつけて私が勉強してみたいと思ったからである。小学校でいかに習うかに関しては、いくつかの発見があった。日本では、歴史をマクロからミクロに習うと思うが、こちらでは、ミクロからマクロに向かう。革命史といっても、プリンストンの歴史が中心なのである。独立戦争については、その原因となったインディアンフレンチ戦争への課税の問題などかなり突っ込んだところも習うが、イギリスが悪者扱いになっていることは否めない。そのあたりは、日本に比べるとかなり単眼的な歴史理解ではなかろうかと思う。一方で、ネイティブアメリカンやアフリカンアメリカンの人権についての記述については配慮がなされていると思う。 ![]() ▲
by tigress-yuko
| 2005-12-30 18:22
| Travel
![]() しかし今まで生きてくると、いろいろな思考と経験が様々に頭の中にネットワークを張っていて、ハーシュマンの著作のように、何がでてくるかわからない、ミラクルワールドをみっちりと味わいながら読めるようになっていることに気がつく。悪戦苦闘してきた場の論文を書くためにずっと読んできた哲学関係の本、市場の理論の項を書くための、17世紀の政治思想から古典派への思想史の流れ、微々たる歩みしかできていないのだが少しづつわかってきた思想史に加えて、日本、ヨーロッパ、中国、そしてアメリカと、表面をなぜるようにしてだったかもしれないけれど、フィールドリサーチを重ねてきた体験が、ハーシュマンに私を近づけてくれたことを感じる。 大学院生のときに、恩師の伊丹先生が個人ゼミを開いてくださった。そのときに延々と読み続けていったのがハーシュマンなのである。そのころも、非常に限定した、シャープでミニマルな問題提起から、時にはカノンのように漸進的に、あるいは対位法的に、そして、必ずどこかで議論のどんでん返しを持ってくる論理構成にしびれたけれども、それは、一遍の推理小説みたいに自己完結していて、そこから自分のオリジナルな議論を立ちあげたり、ましてや、それを自分の論文の中に使ったりすることは非常に難しかった。 この著作は、野心や貪欲、色欲など獰猛な欲を持った人間たちの集合である社会が、いかによき秩序を生み出すことができるか、悪、転じて善となるという17世紀的な政治学のテーマを取り扱っている。個のレベルの悪から全体のレベルの善が出現する問題はホッブス問題として知られているが、このホッブス問題は、18世紀のアダムスミスの古典派理論にもしっかりと踏襲されているのだ。ハーシュマンは、それを、ブラックボックスとして表現していて、個のレベルのどんなプロセスが、マクロの善を生むのか、ブラックボックスの中身の議論はどうなっていたのかを問うている。ハーシュマンの基本的なテーゼは、欲に欲をぶつける、counteracting passionsである。昨日みたCapitol Hillの議員達の顔が思い出される。 ![]() フェンシングの歴史は、15世紀、皮肉なことに、火薬武器の発明で剣による戦いが廃れてからと言われている。騎士道的に言えば、フェンシングの誕生は、本当の騎士の滅亡である。じゃあ、本当の騎士の栄光というのはいつ存在したのだろうか?14世紀に一瞬登場しただけなのか、それとも、そんなものは初めからロマンティックな幻想だったのか。実は、アマゾンの箱にもう一冊入っていたのが、Schools and Methods of Fencing: From the Middle Ages to the Eighteenth Centuryである。この本をちらちらと余所見しながらそんな寄り道も楽しんだ。 無駄を一切、そぎ落としたような着実な論理展開でありながら、一歩一歩はねちこく進む。それをちびりちびりと、WHOLE FOODSで買ったオーガニックのウルトラダークな生トリュフを舐めながら読みすすむ。ああ、至福。いい本は何と人を幸せにしてくれるのだろう。若い時に持っていたもので、年をとって失うものは沢山ある。体力、内臓力、視力は体力的なものだけれど、それに、気力、野心、好奇心。それらを徐々に、あるいは一挙に失っていくことは人間にとって最大の恐怖の一つではないだろうか。でも、若いときには味わえなかった本を味わえるようにもなるのだから、老いも捨てたもんじゃない。年を取ると、欲が減じて、聖人のように清らかになるわけじゃないんだ。クオリティに対する強欲、この欲が、若いときの血気盛んな欲を凌駕していくのだ。 欲は欲をもって制するしかない。ハーシュマンが議論の出発点にしたテーゼは、人生にも当てはまるのかもしれない。一歩間違うと強欲ジジババである。ひたすら美学を磨くしかないだろう。 ▲
by tigress-yuko
| 2005-12-29 09:59
| Academic Issue
![]() それをすっかり忘れてしまっているほど、議会、議員の歴史というのは、語られない、ということを考えさせられる作品だった。建国時、3権分立の理想を実効化するために、ワシントンを議会の決定に従わせた話や、小さな組織の運営ルールで回っていた議会が、対外戦争のような深刻な問題、そしてルイジアナの割譲、国土の拡大にしたがって巨大化する国の規模に揺れる話は興味ぶかかった。 熾烈だったのは、やはり南北戦争時の一連の議論である。奴隷の解放に当たって、州の中でも到底議論はまとまらないはずなのを、代表である議員が一身に意思決定を引き受ける。この国に残るかどうかを選択し、果てには、それまでの同胞に対して宣戦を布告するのである。奴隷解放と一口に言っても、経済的な議論から人権の議論まで様々なアジェンダが複雑に絡み合っている。そして議員自身が、ほとんど奴隷の所有者なのである。日本で言えばちょうど明治維新の頃、国の根幹を決める意思決定である。当時の日本人も実に精悍で引き締まった顔をしているが、議員たちが、本当にツワモノそろいなのである。写真技術の影響もあると思うけれども本当に味のあるいい顔をしている。黒人の人たちの写真も映し出されたけれども、今と比べて、皆小柄で、非常にやせぎす、背骨が曲がったりしている。柔らかな筋肉でむっちりという姿では全くないが、存在の重みが伝わってきた。 Capitol Hillは、建設当時は、ドームがない、小ぶりの建物だった。それにはじめ、黒っぽいあっさりしたドームが加わった。現在の形の白いドームは、南北戦争の頃に改修されたものなのである。皮肉なことに、大改装工事が進み、美しいドームの形ができつつある、まさにそのときに、合衆国からの脱退州の議員がごそっと抜けて、議会が半分になってしまったのである。改修工事の続行を命じたのは、もちろん、リンカーンである。リンカーンはそのドームに長く親しむ前に、殺されてしまうのだ。 今、書いていた論文との絡みで興味を引かれたのは、南北戦争の後に、産業の独占化が一挙に進み、政治の背後の、各産業のトラストや独占企業の存在が巨大になり、Bossesと呼ばれて、政治を支配しはじめるようになるプロセスだった。それと対抗する形で、progressives進歩主義者が台頭し、論陣を張る。時は流れてルーズベルトのニューディールの際に、進歩主義者の主張が大きく採用されるのである。歴史を一本線でなぞっていると、大恐慌があって、その不況対策としていきなりニューディールになったという単線的な理解をしてしまうが、ニューディール政策が可能になった伏線には、90年代末の大独占時代からの議論の蓄積があったわけである。 戦後には、政治におけるメディアの力が大きくなったというくだりも興味深い。議会がテレビ放送されるようになって、一夜にしてヒーローになる議員が出てくるなど、世論形成に、テレビ映像が大きく影響しはじめるのである。ちょうど、TVの黄金期ともいえる60年代に公民権問題が重なった。若き日のケネディが議員として熱弁を振るうシーンがあったが、さすがに迫力があった。歴史的な意思決定にむけてドラスティックな形で国民の同意が形成される要因の一端を見た気がした。もともと、都市部は共和党が強く、民主党は農村部だったのだが、共和党に押されて、新しく膨らむ都市部市民層に票田を求めようと戦略転換したのがちょうどこの時期だ。この新しい都市市民層には黒人が圧倒的に多かったのである。歴史のあと知恵で、そんな知識を持ちながら見ていても、ケネディの熱い議論には、人を動かす力があった。今ですらそうなのだから、さぞかし、「テレビ映え」したことだろう。 テレビ、ケネディ、民主党の政策変換・・・そのようなそれぞれは独立した事象が絡み合って初めて、公民権問題のような、今からみれば真っ当な基本的な政治的意思決定が下せたのである。事の渦中にありながらそのような力学を客観視し、行動に移せる政治家というのは、どのように育つのだろうと考えさせられた。1996年の作品だから、9.11以降の議会の変質についてはカヴァーしていないのが少々残念だ。 ▲
by tigress-yuko
| 2005-12-29 08:11
| Art/Entertainment
クリスマス時の買い物のフォローアップデイである。
まず、Asian Market。 一昨日購入したラーメンが、腐っていた。日本で滅多にないことだけれどAsian Marketでは日常茶飯事である。規模だけは大きいが、在庫管理システムはほとんどないだろう。従業員は全て中国人で、英語があまり話せない。気が利く人も中にはいるのだが、中には、大陸的な人も。今日の人はそうだった。腐っていたから交換してといったら、yesyesといいながら、しっかり、交換品に課金した。レシートをみて、ほら課金してるでしょ、といってもわからない。結局誰か他の人を呼んでくるのに時間がかかり、もたつく。専門がマーケティングだから、従業員教育とか顧客サービスとかどういう風にシステムができてるのかなと観察する機会だと思い、いらいらはしない。この人は、中国のどのあたりから、何のためにアメリカに来たのかと思ったりもする。たまに親切だったり応対がきびきびした人がいると、ありがたやーと思う。 隣の新興住宅地がいよいよ完成間近となり、モデルハウスができていた。車で入ってみたら出口がわからない。関係者らしい人たちに道を聞く。おお、営業マンから、労働者らしい風情の人まで全てインド人である。住宅のデベロッパー、開発、営業と垂直的な発注関係も、インド人ネットワークでやるのだろうか。そのあたりが、意外と、オープンマーケットじゃないのかもしれない。ちなみに、そのあたり一体が知的職業に従事するホワイトカラーのインド人の集積地である。中国そのまんまのスーパーを出るとそこはインドで、一瞬、どこにいるのかわからなくなる。 それから、W-mart。ここは、African Americanの密集地である。従業員も顧客も。 娘が「サンタさんからもらった」Timexの腕時計が壊れていた。それで返品。こちらは専門カウンターがあるので手馴れたもの。しかし、返品コーナーはいつでも人がいっぱいだ。返品率は何パーセントと計算しているのだろうか。まあ、レジで回転している膨大な量の商品に比べたらたいしたことはないだろうけれど。それにしても、簡単に返せるから、品質はそんなに気にしないや、というマインドセットになると、作るほうも、何かあったら返してねーという風になり、どんどん品質は悪くなるだろうと思う。実際、W-martの製品は、本当に安いけれど、モノとして存在できるぎりぎりのところで成り立っている。日本では商品として存在しえないものが半分以上あるのではないだろうか。 そんなW-martでなぜ買い物をしたかというと、娘がサマーキャンプでなくした時計を持っている子供がいて、その時計をW-martで買ったと聞いたからなのである。たった11ドルの時計だが、娘にモノを大切にすることを教えたいばかりに、わざわざ何度も足を運んでいるのだ。大事に使わないで壊れたらポイするのはよくないわよ、というためだ。それなのに、使う前に、壊れないでくれよー。11ドルの買い物のために私は総計何時間費やしたのだろう?30ドル払ってもいいから壊れないものが欲しいと思う人は、W-martには来ないんだろうな。 Paulなどは、W-martでの買い物を避けているし、インテリっぽい人はほとんど買い物していない。実際、わざわざ避けようとしなくても、あまり欲しいものが売っていないから自然に足は遠のくのだけれども、せっかくアメリカで暮らしているのだ。プリンストンみたいな平和なところでぬくぬくしているだけでは本当に社会に関する感覚が鈍ってしまう。それに、アメリカ一の売上高を誇る巨大企業なのである。たまには覗きにいってみないとと、足を延ばす。返品を待つブラックの人たちの会話に耳を傾ける。日本の田舎でもそうだけど、盗み聞きって結構面白い。クリスマスに何もらったー、何食べたーとか、自分の知らない世界だけれど、話題はそんなに変わんなかったりするなあと思う。 最後は、WHOLE FOODSで買い物。最近、Asian Marketの品質に耐えられなくて、生鮮食料品はほとんどここになってきた。今年からFortune 500入りした成長株である。W-martの後だと、本当に客層、コンセプトの違いが際立つ。まあ、日本でも、紀ノ国屋とジャスコを比べたら違うわけだけれども。 大きな違いの一つは、レジ周りのエンドの雑誌コーナーだ。Asian Marketは、当然中国系のローカルペーパー、フリーペーパーオンパレードだし、W-martはゴシップ誌・婦人週刊誌・テレビ・スポーツ。まあ、これは分かる。でも、WHOLE FOODSはヨガとか、クラッシーな健康誌、ライフスタイル、Wiredなどのライフルスタイル系ビジネス誌、それにゲイ雑誌が加わる。これは本屋でも探せばあるのだが、前面にはでていない雑誌類。WHOLE FOODSを初めとした高級スーパーが主要チャネルだろう。WHOLE FOODS通いのおかげで日本ではなかなか見る機会がなかったこのセグメントの雑誌に馴染みができた。 人は自分の価値や文化に従って、店を選択しているわけだが、店に通ううちに知らず知らず、その価値や文化に影響される部分も大きい。私でいえば、WHOLE FOODSに洗脳されて、コーヒー、チョコレート、葉物の野菜、化粧品はオーガニックになり、水も全てミネラルウオーターになった。これって、ライフスタイル的に結構大きい変化じゃないかしら。このラインアップ、日本に持ち込もうと思うと大変だ。手間も費用も。偉いぞWHOLE FOODS。 ▲
by tigress-yuko
| 2005-12-28 06:42
| Retailing
![]() 日本時間そのままで、夜通し、DVDを見続けた。折角買ってきたDVDプレイヤーがテレビにつなげなかったから、パソコンでみている。朝方ねて、また起きて、見始める。 娘がイヤホーンを一つ取って、二人で並んで見始めた。こうなったら、熱病である。意地でも全部見続けるに違いない。2人を追い立てつつ、たまった掃除と洗濯をして、まあ、いいやと私は私で、本を読みはじめる。 ![]() でも、残った仕事の部分を仕上げなくちゃいけないし、文章の最後の練り直しもしたい。それに、 昨日買ったマキャベリだってうんとおもしろい。日本から持ってきてもらった枕草子も面白い。ああ、あれもこれもー、病である。 ▲
by tigress-yuko
| 2005-12-27 01:00
| Art/Entertainment
![]() まだ終わったわけではないので、必要品を備蓄しておかなければということで、午前中一番で、Best Buyへインクカートリッジを買いに行った。ついでに、録画機能のあるDVDプレイヤーも。こちらのコマーシャルなど、教材に使うのに、折をみて録画しておきたいと思って。あと電池やらこまごまとしたもの。 たった一日閉まっていただけなのに、今日は一転して、めちゃ込み。まあ、クリスマス後のセールは名物なので仕方が無い。DVDプレイヤーの安さに改めて感動。録画機能がある機種は、 Sony, Panasonic, ToshibaそれにSamsungブランドの4機種に絞り込まれてしまっている。商売柄、店員さんがどのような応対をするのかをチェックするのが慣わしなので、あれこれ聞いてみる。 価格は、最も高いのがSonyで230ドル、Samsungは170ドルである。店員はSamsungをべたぼめした。ソニーが高いのはブランド品だからだけど、サムソンの方が今いいブランドになりつつあるよと。実際、機能的にも上だし、故障したという話も聞いたことがないという。高機能機種でこれである。これじゃあ、Samsung売れるわけである。デザインも悪くなくて、価格も安く、べた褒めなのだから。ヨーロッパ勢ではPhilipsがあったけれど、再生専門機種のみで、エンドで特売品目が一つでていただけ。スポットアイテムとしてしか取り扱われていないということだ。デザインはクールなのだけれど・・・。Samsungの製品を一度も使ったことがないので、試してみようと思って、購入した。 夫と娘は、DVDのソフトを物色するのに夢中だ。年末にむけて、DVDソフトのコーナーが拡張されて、格段に品揃えが深くなった。これだと、Barns & Nobleよりも多い。ハードよりもソフトが儲かるのは日本も一緒。ハードって2年前のものはもう販売できないのに、ソフトは、50年前のものでもまだ販売されているのだからすごい。地代収入である。新作は29ドルもして高いが、半年ぐらいすると19ドルに下がる。数年経つと9ドル何某になる。 Barns & Nobleでは、DVDの新作が主力商品でフロントに置かれ、、19ドルレンジのDVDが棚に収まり、9ドルの価格帯のものはワゴンセールになっている。日本で米国映画が公開されるのは米国でのDVDの発売時期である。日本のポータルサイトで映画の宣伝をみて、ああ、こんな映画だったんだとか思い出して、B&Nに買いに行くことがある。ターゲットなどのディスカウントデパートメントストアの主力商品は、9ドル何某かで価格付けされるようになった、過去の話題作。それ以上売り場を拡張しようと思うと、過去の作品、海外の製品、ドキュメンタリー、テレビなどといったジャンルを深くそろえていくことになる。Best Buyは、子供用のジャンルを特に拡張したようだった。クリスマス商戦対策だろう。日本のアニメがここでもどんどん増えてきた。 娘がDVDの棚に釘付けになっている。しばらく前までは、英語がわからないと躊躇していたのだが、最近ほとんどわかるのだそうだ。夫が、自分が小さいときにみたというPiPi のテレビシリーズを見つけ、喜んで買い物籠に入れる。私はメアリーポピンズを。小さなとき見たような気がするのだけれど、通してみた記憶がない。何だか、娘にかこつけて、自分達のノスタルジーを満足させてるだけみたいな気もする。夫は、スタートレックの新シリーズのエンタープライズの、豪華ケース入りのを見つけ狂喜した。6枚入り100ドル。えっ、高いじゃない?でも、こんなに嬉しそうにしている夫をみるのは久しぶりである。 その後、Barns & Nobleに寄る。3人それぞれのテリトリーを漁る。私は、引用に使うのに、周恩来とキッシンジャーの1972年の対談を探したのだけれど、さすがになかった。久しぶりにヒストリーのコーナーに行き、マキャベリの君主論を見つけたので、買ってしまった。孫子をずっと読んでいて、比べてみたくなったからだ。娘の本をみてやる。絵本を卒業し、次はどうなるのかなと思ったら、やはり、小学校低学年用の読み物の世界がある。子供3人の冒険物で娘が気に入っているシリーズが全巻揃っていて、娘は興奮状態である。こういうところから順番に読んでいって読書界に参入するのが自然なんだろうなと思う。私は、伝記物のところで、Powell 長官の本を見つけた。アファーマティブアクションとはいえ、大統領を差し置いて堂々の殿堂入りである。写真が多く使ってあり、説明がわかりやすくて面白そうなので購入。African American historyは、私の苦手な分野である。子供向けの本で勉強するかな。 店内にあるStarbucksに立ち寄り、ランチ代わりのスナックをいただく。私が、論文の推敲をしている間、娘は、買おうと思って持ってきた子供用のReadingsを読み始め、耽溺し、ついに読み終えてしまった。夫はびっくり。自分にらくらく読める程度の本をどんどん読んでいくと速読の力がつくのだろう。日本人が英語の速読が苦手なのは、難しい本をちびりちびりと解釈しながら読む癖をまずつけてしまうからじゃないのかと思う。あと半年、ちょっと奮発して、たくさん本をかってやろうと思った。 DVDを楽しみにほくほく家に帰り、早速、プレイヤーをTVに接続しようと思ったら、何と、家のテレビにVideo端子がついてないではないか。何とかしてくれよーGE。何年前のなの、あなた? ▲
by tigress-yuko
| 2005-12-26 21:47
| Retailing
体調がすぐれないまま、原稿書き、最後の一あがきである。
何度も何度も、もうすぐですといいがら、のびのびにしてもらった。日本時間の明日までに切りをつけないと本当に大変なことになる。 プリンターのインキが切れたので、朝一でベストバイへ。無謀だった。今日はクリスマス。日本でいえば元旦だ。人っ子一人いないショッピングセンターを初めてみた。街も、コーヒーショップの一軒もやっていない。そういえば、去年、インド人の店だけやってたっけ、と今さら思い出す。 買ってあった小さなチキンをローストにして、ささやかなディナー。こちらの人に、子供は一人一匹食べられるから大喜びよと進められたのだけれど、3人でも食べきれなかった。やっぱり小食な私達である。アメリカ人はどうしてあんなにたくさん一度に食べられるのか、やっぱり謎である。DNAなのか子供の頃からの食習慣か。娘に、「ハナちゃんに沢山食べさせて、実験してみようかー。」といったら、「絶対にやだー。」 ▲
by tigress-yuko
| 2005-12-25 13:05
引き続き原稿書き。
ディナーを料理するのは遂に諦め、レストランに予約を入れた。 ![]() ![]() 近所の子供たちに、プレゼントを配ってまわるともう夕方である。もう一仕事と、パソコンに向かっているうちに、体調が絶不調に陥ってしまった。首から腰までの痛みに加えて、胃がきりきり痛み出した。これで、肉料理を食べたらイチコロである。寝込んでしまったら仕事は終わらない。ディナーキャンセルして、お茶漬けでもいい?とおそるおそる聞いてみた。すると、娘が、やったーという、夫もいいよーと。話せる家族である。これに甘えちゃダメだと思うけれど、今日は本当にありがたかった。 去年にひきつづき、豪華イベントのないクリスマス・イブになってしまったけれど、実は、アメリカにいると、クリスマスをお祝いする気持ちはかなり失せるのである。様々な宗教的背景を持った人が集まっていて、そもそもメリー・クリスマスとは言わない。Happy holidaysだ。大学のレジデンスはジューイッシュ密度が極めて高いので、クリスマスの飾りはちらほら。ハロウイーンの方が派手だ。そうすると、クリスチャンでもないのに、クリスマスをお祝いするのははばかられる気持ちになってくる。イスラム教のモスクに入って、膝まづいたら注意されたときのことを思い出す。人んちの神様を勝手に拝むなよ。という感じである。 ヨーロッパにいたときはそんな感じはしなかった。イヴに教会にいっても、キリスト教世界の中でのよそ者という位置づけだけで、よそ者として教会の中に入る分には違和感はなかった。それは、教会と社会との距離が近かったからなのだと今にして思う。アメリカの教会は、そのように自然に社会に開かれているという成り立ちにはなっていない。あまりに多くの分派があって、それぞれの違いが大きい。どの宗教のどの派に属するのかは、個人の選択であるから、選択の結果、集まったものたちで作られた組織特有の結合力の強さがでてくる。だから、よそものにはとても敷居が高く感じられるのだろう。 大学で言ったら、学生なら誰でも入れる学生集会所と、部活動の部室ぐらいの差がある感じである。ヨーロッパの教会が前者、アメリカの教会が後者である。赤の他人が、部室に紛れ込んだら、バツの悪い思いをするだろう、そんな感じである。それにバツの悪い思いだけでなくて、勧誘攻勢までかけられてしまいそうだ。ちょうどウエッブサイトをクリックしたときにクッキーが送られてしまうように。アメリカのキリスト教は、自分たちのテレビチャンネルまで持っている強力なマーケティング集団なのだから。 これほど、標準化が好きな国なのに、と思うけれど、逆に、何事につけ小さな分派がつぎつぎと生まれてしまいやすい土壌だからこそ、標準化せざるを得なかったというのが本当のところだろう。娘とプリンストンバトルフィールドに行ったとき、独立戦争のときに使われた銃の展示をみて驚いた。国籍がばらばらで、英米のものよりもスペインのものの方が多いくらいなのである。その後1851年のロンドン万博の際のアメリカからの出品物で注目を引いたのは銃だった。 南北戦争のときには、互換性原理に基づいた銃が生産されていたということである。プロフェッショナルな軍隊が使う銃を、プロが生産し、プロが修理するというヨーロッパ型のシステムではなくて、アマチュアが使う銃を、アマチュアが生産し、修理するシステムにしなくてはならないところから、一つの銃がだめになっても部品を交換して使えるようなシステムが考案されたということだが、ビジネスヒストリーが教えるところによると、それは理想でなかなかそのようなシステムは作れなかったらしいけれど。 ありがたいことに、周りが周りだから、娘は、そんなにクリスマスを特別扱いしていない。もしかしたら、一番楽しみにしているのは私なのかもしれない。娘は、それでもちゃっかり、サンタさんを楽しみにしている。サンタこそ、よそ者同志を媒介してくれる標準化製品である。分派が大きいアメリカだからこそ、サンタのキャラクターが発展したのだと納得する。ショバ代何某を支払わなくてはならないけれど。 ▲
by tigress-yuko
| 2005-12-24 12:31
| Occasions
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