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夫を送りに早朝JFKに向かう。娘は学校に遅れるのでDasha宅へ。父娘して泣き出しそうである。空港に向かう途中、一つexitをうっかり間違えて修復に手間取る。アメリカのハイウエイは中心のないネットワーク状だから、気をつけて修復しないと、全く違う方向にでてしまう。いつもは気をつけていて間違うことなどないのに、夢中で話をしすぎてしまった。
AAのターミナルが工事中でターミナルが8から9に変更になっている。しかもそのあおりでParkingも閉鎖中。とりあえず出発階に車を停めるが、停車禁止領域ということで、パトカーが停車中の車を追い立てる。仕方がなく、夫だけをおろし、臨時パーキングへ。JFKの構造は、ターミナルを分散させて、駐車場からゲートまでの距離を短縮させる構造である。しかしこれだと駐車場が閉鎖されてしまうと、他の駐車場からのアクセスが大変である。バスを待ちターミナル8へ、9までは、工事中の建物をてくてく歩かなければならない。 最短距離でつなげられたアクセスは、合理的だし、快適、それにぴかぴかだ。でも、それが接続されないと、思わぬバックヤードをみることになる。表面がぴかぴかの建物の裏の、工事中の人たち、おしゃべりをしている従業員などなど。人種、言語、出身国などが、現場によって違うのが面白い。屋内でのサービスセクターは黒人だけれども、駐車場など外で働くのは、英語のある程度できるイスパニッシュ系の人たち。工事に従事する人々は同じイスパニッシュでも新参もので英語が出来ない人たちだ。夫をセキュリティチェックの寸前まで送りに行く。無事を祈る。 帰り道、何となく気持ちを静かにしたくて、Belt HWYのどこかで降りて、海を見ようかなと思う。世界各国の船舶が島々の間を緩やかに往来するのを見るのが大好きだから・・・。だけど、やめた。このハイウエイを一回降りてしまうと、何かそのまま、別の世界に接続されていき、プリンストンに行き着かないような気がしたからだ。そのくらい、ブルックリンやその周りは、様々な小世界がひしめいている。 車を運転しながら、行過ぎるトレイラーのコンテナーを見るでもなく眺める。コンテナ中に漢字が書きめぐらされた中国のコンテナーが多い。コンテナーごと陸上輸送されるということは、まんまどこかの流通倉庫に入るということだろう。これだけ小売のマーチャンダイズがMade in Chinaで構成されているのだから当然だろう。NY付近を走る車がプリンストンあたりとは全く違うのにもいつも感動する。20-30年前のクライスラーやら新車のカマロなどプリンストンではまず絶対に見ないから。 ルート1からHarrison Streetへ折れると、キャナルに差し掛かる。ここを超えるとプリンストンだ。世界と直接繋がっている国道のワイルドな世界から、全くの別の田園世界にクロスオーバーする。キャナルは結界で、ここを超えると禊をされた気分になる。ベルトハイウエイで車を降りられなかったので、ここで外の空気を吸うことにした。ここがどこかでNYのキャナルに繋がっているのか・・・。どうしてここはこんなに別世界なのだろう・・・。 昔は、飛行機→車ではなくて、船→馬車のロジスティクスで街の足腰ができていた。だから、船の入れたところに最初の都市ができ、その間をつなぐように道ができた。もっと歴史の古い国なら徒歩→馬空間の原初もあるのだろうが、まず船から始まるところが近代のコロニアルカントリーであるゆえんである。プリンストンとDelaware川とRaritan川が湾曲し、ウエストのクビレのような形を描いているちょうどクビレの部分の中間部、ヘソのあたりに立地する。クビレの部分には水利を生かした形でそれぞれTrentonとNew Brunswickが発達した。それをつなぐ道上に宿ができそこが町になったのである。 植民地時代、アメリカにキャナルは発達しなかった。イギリスが植民地間のキャナルの造営を極力阻止したからだという。お互いに孤立させておいた方が、港を押さえる形のコントロールがしやすいからだろう。独立を勝ち取った後で初めて、キャナル造営ブームが押し寄せる。産業革命の動力源となった石炭を運ぶためだった。プリンストンのキャナルも、その時期に建設されたものである。しかし、キャナルの時期は短く、鉄道にとって替わられ、その後、車に変わる。鉄道に続き、ルート1が敷設され、Trenton とNew Brunswickが直接結ばれるようになると、かつての中間地点プリンストンは交通の結節点という意味を失った。川のクビレの中間だったから発達した集落は、キャナルが未発達で他の交通モードに変わったために取り残されたのである。プリンストンの結界を作るキャナルは、過去の遺物、盲腸みたいなものなのだ。 水辺の空気を吸ったら、また改めて娘と二人で頑張ろうという前向きな気持ちが湧いてきた。家で仕事をしていると娘が帰宅。にこっとして帰ってきたと思ったら、家のドアを開けたとたん、お父さんがいっちゃったーといって泣いた。抱きしめて気を取り直し、ヴァイオリンの練習をして、 ダシャの家に行く。ダシャが遊ばないって言ったーといって、又大泣きして帰ってきた。夫が、期の家プロジェクトを一見の価値ありといっていた。お母さんにも見せてーといって一緒に裏庭にいく。 紐やありあわせの板で遊び道具を自分達で作っている。いつの間にか木にするする登れる。ロープと木の枝で、ブランコを作っている。ロープに結びどめがついていてそれに棒を差し込むと高いブランコを作って、上までいける。私も木に登ってみた。すっごいねーと褒めたらいい気になり、チェアを一人でもくもくと運ぶ。そして、子分を調達してきた。その後、ダシャと仲直りし、一緒にDVDを見ているうちに結局うちにお泊りをすることになった。 航海用語で、good crossingは穏やかな海、荒れた海はrough crossing. 日々の生活もいくつもの異なったモードが走っていて、その間を横断して一日が過ぎる。横断が穏やかなときもあるし、ラフなときもある。静かに移動したり、エイヤと飛び移ったりいろいろなクロスオーバをしながら生きている。家族も同じ、同じ軌道に乗っかるときもあるし、別々に走るときもある。一人で歩いていけるように育ててやるのが親の務めだが、一緒にいるときはそれを楽しみたい。 さあ、また二人の生活が始まった。結界で守られたこの町の穏やかで質実剛健な空気を十分に満喫したいと思う、飛行機までの道は多少ラフでいいけれど、飛行機に乗った後は、good crossingであることを祈るばかりだ。
by tigress-yuko
| 2006-01-06 00:16
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