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選挙結果をネットニュースで追いかける。当選した女性議員たちが、私と同じ世代であることに、親近感と違和感の入り混じったちょっと複雑な思いがする。それにしても上智出身者が多い。
彼女たちの経歴を見ていると、帰国子女→英語が得意→外国に留学→学位をとる。それで早々とキャリアの頂点に上り詰めるというパターン。30代前半までは、これでいい。でもそこからが結構大変だ。マネジメントトラックに進むならマジで出世街道を歩んでいた男性と勝負しないといけない。欧米系企業であれば欧米人の男性とだ。これはかなり辛い。専門職を追求するならば、数年間の勉強では足りない。学部時代からずっとその畑でキャリアを積んだ人にかなわない。35歳の壁。これは彼女たちに限らず、女性がキャリアを目指すときにぶち当たる壁だろう。 これはGlass Ceilingとかつて言われたけれど、実は、性別の問題ではなくて、キャリア一般の問題なんだろう。男たちもぶち当たる壁だ。高度成長期には、組織自体が大きくなるからタテの階層を増やしたり、ヨコの領域を増やしたりしてポストを拡大できたから、かなり高齢になるまで、プロモーションというニンジンを与え続けることができたけれど、ますます組織を軽くする一方の傾向の中で、ポストはたくさん用意できない。そういう中で、いかに自分のキャリアのレベルアップを図るのかは大きな問題だろう。 20代のとき、帰国子女の友人たちがうらやましくてしかたなかった。富山の田舎で必死に英語を勉強していた自分が渇望していて、しかし決して与えられなかった機会ー外国語を現地で学ぶーを子供のときから自分では何の努力もしないでやすやすと手に入れた人たちがいる。 そう思っただけで、人生の機会の不平等さかげんを本当に恨めしく思っていた。それは大学院に進学して専門的な研究をするという強力なドライブになっていたように思う。 しかし、今回、娘をアメリカで育ててみて、子供の時に外国で生活するのは確かに「自分では何の努力もしないでやすやすと手にいれた機会」であるけれども、外国語がちゃんと使えるようになるためにはいくら子供であっても相当の努力をする必要があることを思い知るようになった。自然に身につくことなどなく、落ちこぼれたり、惨めだったり、遊んでもらえなかったりといったの異文化体験の中で血と汗のにじむ努力の中で獲得したものなんだ。それに子供も大変だったけれども親御さんも相当大変だったに違いない。そういった家族の努力の結果で作り上げたキャリアなんだ。そういうことは子供を育ててみて初めてわかることである。 女性議員の顔ぶれをみながら、子供の時から頑張ってきた、生来の頑張り屋さんたちなんだとしみじみ思えるようになった。だから、いつもチャレンジする対象を見つけざるを得ない。その一つの分野が政治だった。常識を逸した言動が確かに目につくけれども、それはある種、ピュアさの反映なんじゃないか。えげつないわね、と眉をひそめてひそひそ話する井戸端会議の男女に比べたら、やっぱり天晴れな人生ではないか。自分が送りたかったけれども送れなかった人生を歩んだ女性に対して、初めて心からエールが贈れるような気がした。 それは、おそらく、娘という、次に繋がる人生を経験しはじめたからではないかと思う。点と点とでピンポイントに比較するのではなくて、タテに繋がる世代まで視野に入れて女性の人生をみると、もっと女性に対する態度や評価が豊かになる気がする。
by tigress-yuko
| 2005-09-11 00:00
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