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![]() 12月1日に自分に課しておいたYankee Doodleの起源を調べるという課題を、一橋大学の広報誌HQから依頼のあったエッセイにかこつけてやってみることにした。テーマは「装う」で、各研究科の先生達が異なった視点から書くものだ。書く仕事は、簡単に流すことはできるけれど、流してばかりいると時間がもったいないので、じっくりやることにしている。ダンディとバブルというテーマで書くことにしたのだが、金融史と服飾史を調べるのにめちゃくちゃ時間がかかってしまった。何しろ世界各国の情報がネットでかなり調べられてしまう。改めてすごいことになったものだと思う。 中でも、うなったのは、Pepys Diaryというサイトである。17世紀のロンドンの小市民的紳士、Samuel Pepys氏の日記なのだが、それがコミュニティになっていて、コメントがついている。例えば、Pepys氏が「XXさんとすれ違ったら剣に当たってしまった。」というセンテンスの剣というタームにコメントがつき、17世紀には、飾りの剣か、短剣をさすのが普通で、Pepy氏が帯刀していなかったとしたら、それはかなり人品に劣る行為といわなければならない云々、と延々と、17世紀風俗に対する薀蓄の持ち主がPepys' Worldを作り上げているのだ。Pepys氏は、庶民出身だが刻苦勉励して大臣にまで成り上がる人物で、自分の出身の卑しさにびくびくしながら、ちまちまとキャリアを構築した人なのだそうだ。 さて、Yankee Doodle、エッセイから使いまわしをさせていただくことにする。4月の発行に先駆けて、初公開ということで。 ////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// ダンディの系譜:Yankee Doodleの暗喩学 山下裕子 プリンストン大学の傍に植民地時代の面影を残す歴史的ホテル、『ナソー・イン』のタップ・ルームに、Yankee Doodleと銘されたノーマン・ロックウエルの絵がある。ヤンキー・ドゥードルはアルプス一万尺のもと歌である。日本ではスイス民謡だと思っている人も多いが、実は、独立戦争のときにアメリカ軍=植民地軍によって歌われた愛国歌なのである。 英仏は北米植民地の覇権をめぐって激しく利害が衝突し、一連の植民地戦争を起こしていた。フレンチ・インディアン戦争(1754年-1763年)は、その最後の戦いである。アメリカの植民地軍と共同で戦った英軍が勝利を収め、北米での覇権を掌握する。このときプロの軍人で組織された英軍に対して、植民地軍は素人の寄せ集めで全く無秩序な部隊だった。英軍が味方の植民地軍を嘲笑して歌ったのがヤンキー・ドゥードルだったのである。 Yankee Doodle went to town, まぬけなヤンキーが街へいった Riding on a pony; ポニーにまたがり、 Stuck a feather in his hat, 帽子には羽をさし、 And called it macaroni. そして、それをマカローニと呼んだ Yankee Doodle, keep it up, Yankee Doodle, どんどんやれ。 Yankee Doodle dandy; Yankee Doodle ダンディ Mind the music and the step, 音楽と足元に気をつけて And with the girls be handy! 女の子には抜かりなく 羽をさした帽子を被った格好の悪い男がロバにのり、ロバに乗って得意そうに田舎街を凱旋している。それを街の女、そして植民地兵が口をあんぐりとあけて呆れ返ってみている。イギリス兵は、立派な軍服を身に纏った紳士として描かれている。Macaroniというのは、18世紀のイギリスで流行ったクラブで、イタリアやフランス留学帰りの洒落者が集まったという。彼らは、ファッションも大陸流の羽をついた帽子をかぶり、外国語を操り、洗練を競った。深い事情は全くわからないのに、羽根つき帽子さえかぶっていれば、十分に粋でMacaroni clubへの出入りを許されると思っているヤンキーの野暮が嘲笑されているのである。 イギリスは北米で圧倒的な地位を築くことに成功したが、一方、過大な戦費支出で国内の財政危機に直面し、そのため植民地に課税し、植民地を激怒させ、1775年独立戦争が勃発する。始めての戦場となったレキシントン・コンコルドで、かつて自分達を揶揄するためにイギリス軍が歌ったヤンキー・ドゥードルを植民地軍が反対に歌い返したのだった。しかし、ワシントン将軍率いる植民地軍は相変らずの素人の寄せ集め部隊で、フィラデルフィアまで追い詰められていた。 このとき、フランスではもう一人のヤンキーが、外交の舞台での戦いを繰り広げていた。ベンジャミン・フランクリンである。アメリカ初めての駐仏大使としてパリに赴き、独立革命への援兵と資金援助の交渉の任に就いた彼は、世界のモードの中心地パリに、当時の業界標準であったカツラをつけずにザンバラ髪であらわれ、それに毛皮の帽子をかぶり、簡単な衣服を着て、善良でウイットにとんだ田舎者の演技をして、大うけして社交界の花になる。サロンの上流婦人の人気者で、時の最先端だったナチュラリスト嗜好の体現者として、女達を痺れさせたのだという。 カツラをつけない毛皮帽子は、coiffure a la franklinと呼ばれて流行になってしまう。この姿と巧みな弁舌で、ベルサイユの心を掌握したという。ヤンキー・ドードル転じて、本当のダンディが誕生したのだ。フランスからの援軍が到着して、形勢が一挙に変化、1781年米仏軍がヨークタウンで英軍を包囲したヨークタウンの戦いでイギリス軍が降伏し、独立戦争が終わる。フランクリンは、「すべてのヤンキーの父」と呼ばれている。 (続く) by tigress-yuko | 2006-02-11 03:11
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